そこへたどり着くために。
MF18/エウシーニョ選手
テキスト/いしかわごう 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Ishikawa,Go photo by Ohori,Suguru (Official)
2017年6月16日の麻生グラウンド。
明治安田J1リーグ第15節サンフレッチェ広島戦を翌日に控えた全体練習。その終わり際の光景のことだ。選手全員とコーチングスタッフが集まると、いつものようにメンバー入りする選手18名の名前を米山篤志コーチが読み上げていく。そして最後に鬼木達監督の挨拶で締めとなり、選手達の輪は解けていった。
そこからは各自の自由時間だ。入念にクールダウンを行ってからクラブハウスに引き上げていく選手、チームメートとリラックスゲームを興じている選手、居残りで自分の課題に取り組んでいく選手と、過ごし方や調整法も様々である。
鬼木監督は、何人かの選手に声をかけて、グラウンド上で気さくにコミュニケーションをよくはかっている。いつもの練習後の光景だ。ただこのときは、何やら様子が少し違っていた。
鬼木監督と話していた4人の顔ぶれは、全員ブラジル人選手たちだった。彼らを集め、中山和也通訳を呼んで、なにやら伝えたいことがあるようだった。
今年、チームに在籍しているブラジル人は、エウシーニョ、エドゥアルド ネット、エドゥアルド、ハイネル。そしてこの広島戦では、長期離脱していたエウシーニョが今季初めてメンバー入りすることが決まったのである。Jリーグの試合に出場できる外国人は、ルール上3人までだ(GK・チョン ソンリョンはアジア枠)。全員が知っていたことであるが、今シーズン序盤は、エウシーニョとエドゥアルドが離脱していたため、その出場枠に支障はなかった。しかし、ここにきてその二人が復帰を果たしたことで、この広島戦からは4人のブラジル人のうち、誰か一人はベンチ外となることになる。そのことについて、鬼木監督はあらためて伝えたのである。ブラジル人選手たちは、指揮官からこんな風に切り出されたという。
「今回、エウソンが復帰したことで、(試合に出られる)ブラジル人が4人になった。でもルールの都合上、3人しか出られないし、試合にも連れて行けない。でもここの4人はみんなで切磋琢磨して、一人一人が精一杯良い準備をして欲しいと思っている。連戦も多いので、疲労感などを見せた選手を休ませて違う選手を使うことがあるかもしれない。だから、全員が良い準備をしてくれ」
監督からの説明に、当人たちはどう感じたのか。出場枠のルールに関して、もちろん彼らも理解はしていたことだった。だからこそ、そういうコミュニケーションが監督からあったことが嬉しかったと、エウシーニョは口にする。
「すごく良い監督だな、と思いましたね。一人一人が努力しなくてはいけないし、その中で監督が決めて3人が試合に出るということです。そのことをあらためて確認できた」
昨年から所属しているエドゥアルド ネット、エドゥアルド、エウシーニョはチームに欠かすことのできない主軸である。そのため、エウシーニョの復帰に伴い、ハイネルがベンチ外の状況となった。スタメンとして出場するということは、チームを代表してピッチに立つ11人だということである。ただ外国人選手としてプレーしているブラジル人は、それとも違う思いを背負ってピッチに立っている。
サンフレッチェ広島戦は、エウシーニョにとっての復帰戦となった。試合当日、チームの集合場所から等々力陸上競技場に着くまでチームバスに揺られている10分ほどの間に彼が胸に感じていたのは、試合への不安よりも懐かしさだったという。
「やはり長い期間、試合に出ていませんでしたから、なんだか懐かしい感覚がありました。そして、いつもはバスの中で音楽を聴いてリラックスをして過ごしているのですが、このときはイヤホンを忘れてしまったんです(笑)。でもイヤホンを忘れたことで、スタジアムに向かう道ではサポーターの顔をしっかりと見渡すことができて、よかったと思いますね」
スタジアムに到着し、ロッカールームでしばし時間を過ごしていると、ウォーミングアップの時間になった。ピッチに出て行くと、サポーターからは自分に向けたメッセージ入りの大きな横断幕が掲げられていた。
「あの横弾幕は本当に感動しました。自分が思っていた以上に、サポーターが思っていたこと、そして優しさを感じることができました。応援してくれる人たちがいるからこそ、こうしてピッチに戻ってくることができたし、またそのサポーターのために努力したいと思いましたね」
今季初出場の試合は、本職である右サイドバックのポジションではなく、右サイドハーフとしての出場となった。試合勘や体力面での不安は、当然あっただろう。しかし試合が始まれば、そんなことは気にしていられない。持ち場である右サイドだけではなく、中央や左サイドなど様々なエリアに顔を出して、チームのゴールチャンスを作るべく縦横無尽に動き回った。だが人数をかけてゴール前を固めてくる広島守備陣は、思った以上に綻びを見せない。前半、フロンターレの放ったシュート数は0。スコアレスのまま、ハーフタイムを迎えた。
「サイドバックで出る時は守備的なことであったり、相手のマークをしっかりしないといけないですが、2列目のポジションでは、攻撃のところをしっかりとやらないといけないと思っていました。ただ広島さんもブロックを組んでいたので、なかなかこじ開けることができませんでしたね。前半はゴール前に入り込めなかったですが、チーム全体で辛抱強く戦えていたと思います。後半に向けては、自分の持っているエネルギーを全部使い果たしてプレーしよう。そう思ってやっていました」
そして後半、待望のゴールが生まれる。 56分、中央にいたエドゥアルド ネットの繰り出した縦パスに反応したのはエウシーニョだった。相手ディフェンダーを背負うような格好だったが、倒れ込みながらもキープして味方にパスを落とす。エウシーニョが粘ってそのボールに反応していたのは阿部浩之。狙い澄ました低弾道のミドルシュートを放つと、ゴールネットを綺麗に揺らした。
相手を背負うようなポストプレーは、決して得意ではない。ブランクの影響はあり、試合中の動きはまだ重く、本調子とは言い難いパフォーマンスだった。しかし、この試合のエウシーニョは、ペース配分など考えず、とにかくがむしゃらに走り続け、自分ができることを泥臭く表現することに徹していた。だが78分、さすがにガソリンが底をつき、奈良竜樹と交代となる。全力で走り続けた18番に、サポーターは大きな拍手を送った。試合はこのまま1-0で勝利をおさめている。
「自分ができることを精一杯やろう。そう思っていました。不安などいろんなものがありましたが、自分に期待しながらやれたと思います。復帰戦でチームが勝てたのは良かったですね。負けるよりはうれしく思います(笑)」
実はこの試合はブラジルから両親が初来日し、試合観戦に訪れていた。日本でしっかりとプレーしている姿と、サポーターから熱く応援されている姿を両親に披露できたことは彼にとっても誇りだった。
「父親からは『すごく走っていたし、良いプレーをしていたね』と褒めてもらいました。来日しているときは良いプレーをたくさん見せないと文句を言われるのでよかったです(笑)。サポーターがしてくれたことには、家族もとても喜んでいました、『彼らは心からチームを応援してくれている』と感謝していました。サポーターの人たちは、自分だけではなく、家族みんなに優しさを与えてくれました。自分としては去年以上にチームの力になりたいと思っています」
復帰後は、出場とともにパフォーマンスも右肩あがりになっていった。右サイドバックながら、神出鬼没な動きでゴール前に顔を出してシュートを放つ、通称「そこにエウソン」も健在だ。
第18節のサガン鳥栖戦では、復帰後の初ゴールも記録。それも左サイドバック・車屋紳太郎からのクロスを、右サイドバックの(はずの)エウシーニョがゴール前に走り込んで流し込むという形だった。両サイドバックによる珍しい崩しに、中村憲剛は「シンタロウが(ボールを)持って行って、ユウ(小林悠)かアベちゃん(阿部浩之)が詰めていると思っていた…… なんでエウソン?」と笑っていたが、あれこそがエウシーニョの真骨頂であるのはサポーターもご存知だろう。
あの動き出しの秘密について、本人がこんな風に語ってくれたことがある。
「基本的にはボールが逆サイドにあっても、ボールが動き出したら、ナナメに入っていく。それは常に意識していますね。ディフェンスはやはりボールサイドを意識しているので、そこの背後を突くこと。そうなれば、ディフェンスがマークをつくのは難しいと思います。自分が動き出したところで、出して欲しいと味方には言っていますし、彼らは良いパスを出してくれます。自分たちはコンビネーションができていますから、そのタイミングで出せば、ゴールも増えますね」
まるでストライカー顔負けの嗅覚だが、「そこにエウソン」が起きるのは、そこにパスを出してくれる味方のおかげでもある。それを彼はよくわかっている。
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話は、2016年11月28日まで遡る。
この日、地球の裏側から信じられないニュースが流れてきた。
ブラジルサッカーリーグ1部シャペコエンセの選手・チーム関係者を乗せた飛行機が、コロンビア上空で墜落。その事故に巻き込まれた選手の中には、2015年に川崎フロンターレに在籍していたアルトゥール マイアの名前もあった。
川崎フロンターレだけではなく、多くのサッカー関係者が悲しみに包まれたが、エウシーニョにとってマイアは、日常的に連絡する友達でもあった。チャンピオンシップ準決勝鹿島戦翌日の11月24日にも会話したばかりだった。
「ケータイアプリでいつも連絡を取っていました。マイアはいつもフロンターレの結果を気にしていましたし、応援もしてくれていました。チャンピオンシップは残念だったけど、天皇杯で優勝してくれと言ってくれた。川崎が優勝することも信じてくれていました」
事故の第一報はインターネットのニュースで知ったという。すぐにメッセージを送ったが、結局、マイアからのメッセージが返ってくることはなかった。
「ブラジルでのニュースをずっと注目していました。彼が飛行機に搭乗したのは知っていましたが、なかなか信じることはできませんでした。サッカー界では起きない、大きな事故。このクラブでプレーした仲間でもありますし、すごくすごく、本当に悲しい気持ちでした」
フロンターレで過ごしたマイアとの日々を忘れることはない。
加入したときにはフロンターレのサッカースタイルについてよく話をしていた。マイアはテクニックに優れた選手だったが、日本のサッカーはテンポが早い。中でもフロンターレは独特ともいえるリズムがある。シーズン途中の夏の移籍だったこともあり、フィットする期間も短く難しかったのが悔やまれるところだ。試合に出場する機会は少なかったが、マイアは日々のトレーニングに真摯に励んでいた。
ピッチを離れれば、一緒に夕食を食べに行き、婚約者がいた彼の相談にもよく応じていた。遠い異国でサッカーをする仲間であり、良い友人でもあった。そんな彼が帰らぬ人になったという現実は、あまりにつらかった。
12月24日、味の素スタジアムでの天皇杯準々決勝のFC東京戦。
マイアを失って迎える最初の試合となったこの一戦で、エウシーニョは追加点を決めている。右サイドからカットインし、相手ディフェンダーのタイミングをずらし、うまく流し込んだコントロールショットだ。そして決めた後、彼は上空に向かって指を指していた。マイアに捧げるゴールでもあった。
「まずはゴールをできたことを神に感謝しました。そしてサポーターの皆さんがマイアへの思いを横断幕を作って表現してくれていたので、そのことにも感謝しようと思いました。ゴールというのは常に自分の中に刻まれるものですが、あの試合は特別なものだったと思います」
チームは準決勝で大宮アルディージャに1-0で競り勝ち、元日の決勝戦まで駒を進めた。相手は鹿島アントラーズ。チャンピオンシップ準決勝で苦杯を舐めさせられた宿敵である。
「決勝までいくことを考えていて、素晴らしい試合をこなしてきた中での鹿島戦。元日にゲームをするというのは、いつもとは違う感じがありました。普段とは違うゲームの感覚もあり、試合に集中することに気持ちがいっぱいでした。本当にタイトルを取りたいと思っていたし、ブラジルにいた家族もあの試合を見ていました。チャンピオンシップを制した鹿島さんが勢いを持って臨んできて、すごく難しい試合になりました。どちらが勝ってもおかしくなかったと思います」
決勝戦はエドゥアルド ネットが出場停止だった。
彼の思いも背負って、エウシーニョはピッチに立っていた。しかし延長戦までもつれた激戦の末、チームは1-2で惜敗を喫した。最後に案内されたのは、残念ながら、敗者の部屋だった。
「結果としてタイトルは取れませんでした。サッカーなので、勝者がいて敗者がいます。あの試合では逆転するチャンスもありましたが、ボールを入れることができずに敗者になってしまいました。一年通して素晴らしい試合をしたが、天皇杯では決勝戦であと一歩だったと思います」
2016年、リーグ戦で積み上げた勝ち点72はクラブ最多となる数字だった。そして天皇杯ファイナル進出を果たすなど、ここ数年でもっともタイトルに近づいたシーズンだったとも言える。しかし、それでも頂には届かなかった。
「決勝まで行ったのだから、あそこでタイトルは取れたんじゃないか…… そんなことも、いろいろと考えました。チームとしては何が足りなかったのか。それはわかりません。あそこで勝ってみんなでタイトルを取りたかった。その強い気持ちがありましたし、最後の最後まで戦いました。本当に残念な年でもありましたが、シーズンを通して全力を出して戦えた一年だったと思います」
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元日まで戦い抜いた後は、すぐに母国に戻っている。
家族や友人と会うなどゆっくりと過ごして英気を養い、遅刻することもなく再び来日。あらためて思うが、エウシーニョはとても真面目である。例えばエドゥアルド ネットに比べると普段は物静かであるし、日本人がよく言われるような「勤勉性」を兼ね備えているようにも見える。
「それはよく言われます。練習もしっかりするし、ブラジル人らしくないって。でもブラジルにいるときから、自分はそうでした。他のブラジル人みたいに、サボったりする人間ではないと言いたいですね(笑)。来日したときから、自分のスタイルを見せたいと思っていました。毎日朝に起きて練習に行く。そして良い準備をして練習に入る。そういう日々の練習は精一杯やりたいと思っています…… ただ、ものすごく疲れたときはサボリますが(笑)」
そんなエウシーニョから見ても、日本人の性格はものすごく真面目だという。一人一人がマイペースで、自分のことに集中している。例えばエウシーニョは大島僚太のことをとても評価しているが、あらためて彼について聞いてみると、やはり饒舌に話してくれた。
「リョウタのプレーは、言う必要もないぐらい素晴らしいですね。ピッチから離れたところですか?日本人はみんなで騒ぐようなことは少ないけど、リョウタはさらに自分に集中していますね。とても真面目で大人しい。グループの中で一番賑やかなのはノボリ(登里享平)だと思いますが、ノボリが騒いでいるのを、リョウタはよく真顔で見ています(笑)」
そう語っているエウシーニョの表情は、大きくほころんでいた。
鬼木達新監督のもとでキャンプが始まった。新たに加わった篠田洋介フィジカルコーチのもと、ACLを含めた日程を戦い抜くコンディション作りも順調だった。
しかし公式戦開幕を控えた直前、非公開で行われた浦和レッズとの練習試合で、まさかの事態に見舞われてしまう。ルーズボールをめぐり、相手選手と球際を競り合った際に右足を激しく強打すると、そのまま続行不可能となった。
「最初は、そんなにひどい怪我ではないと思っていました。足をひねったかなと思っていましたし、数日したら治るかなぐらいに思っていました。しかし翌日か二日後に検査に行くと、骨折だとわかりました」
診断は右脛骨骨折で、全治は3カ月と発表された。開幕直前での主力の離脱は、チームにとって大きな痛手だ。加入してからの2年間、ほぼフル稼動してきたエウシーニョ本人にとっても、無念としか言いようがないものだったはずだ。
「すぐに開幕する時期ですから、かなり残念ではありました。ただサッカー選手、プロというのは怪我がつきものです。怪我したことは忘れてこれから何ができるか。時間がかかるとは言われていたので、怪我したときでもチームの力になりたいと思っていました」
そこから約3カ月、自身にとって人生初となる骨折と向き合う日々が始まった。復活までの日々をあらためて振り返ってもらうと、大変だったのはやはり気持ちの部分だったという。
「これだけ長い期間、チームから外れるというのも初めてでした。一番難しかったのは、怪我をしたということを受け入れることです。3ヶ月という期間を言われていて、その現実を受け入れなきゃいけなかった。だんだんと落ち着いてきて悩んでも仕方がないと思いながらも、自分自身にもイライラしてしまったこともありました。クラブに来て治療をする。そして家に行ってまた休む。それを繰り返して、時間が経つことを待っていました。自分が悲しんでいることも家族は見ていましたし、息子からは『いつ復帰するの?』と聞かれたこともありました。その中で、いろんな人がサポートしてくれた。フロンターレのトレーナーさんもそうですし、多くの人が復帰する手助けをしてくれました」
骨がつくまでに予定よりも時間がかかってしまったが、松葉杖がなくなり、ギブスを外し、ピッチでウォーキング・・・と、3月、4月、5月と時間が進むにつれて、確かに前進していった。ボールを蹴っても良いと許可をもらったときは、嬉しさから思い切りボールを蹴ってしまい、トレーナーから怒鳴られている。
「あまりにうれしくて(笑)。感触としては、足が少し重い感じはありました。でも痛みはなかった。そこからパスをしていき、シュート、ミニゲームと徐々に徐々に増やしていきました。走ることに対しても状態はよくなっていました。もちろん、不安はありましたよ。復帰したときに痛みが出るんじゃないかと思いましたし、プレーしたときの自信が持てるかも心配でした。でもうまく復帰できたと思います。日々の練習でもよくなっていたので」
実戦復帰となったのは、6月11日の横浜F・マリノスとの練習試合だった。そこで自分自身の感触を確かめながらも、いきなり得点を記録し、自信を取り戻した。そして6月17日の広島戦から帰還を果たしてからの活躍はご存知の通りである。
最後に聞いてみた。
今回の怪我を通じて学んだことがあったとしたら、一体何だろうか。
「いろんなことを学びました。日本の環境もそうですし、クラブの温かさもそうですが、一番はサッカーができることの喜びです。怪我をしているときは何もできないですから。そういう意味では、怪我をしたことでより強い気持ちで戻ってこられたと思います」
2017年シーズンも折り返し地点を通過した。
人生初の骨折という試練は、ずっと走り続けていたエウシーニョに、ちょっとした休息とさらなる強い気持ちをもたらしてくれた。
シーズン前半に止まっていた彼の時間は、再び動き出している。
見据えているのは、ゴールよりもその先にあるタイトルに他ならない。
そこへたどり着くために。
昨年よりも、もっと強い気持ちで、エウシーニョは力強く走り続けている。
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[えうしーにょ]
変幻自在、神出鬼没のブラジル人サイドアタッカー。基本的には右サイドのプレーヤーだが、ひとたび攻撃のスイッチが入れば巧みなポジション取りで相手ディフェンスを混乱に陥れる。2016シーズンもチームが苦しいときに真価を発揮。年間を通してコンスタントな活躍を見せた。2017年で日本3シーズン目。観客を驚かせるビッグプレーを見せてくれるはずだ。
1989年11月30日
ブラジル、ロンドニア州生まれ
ニックネーム:エウシーニョ、エウソン